| 講演の内容 |
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| 第一部 |
| 池坊ご用達の実家を手伝う少年時代 |
| 池坊立花の骨法を多くの師から学び、本物の花瓶を用い、寛永立花を習得してきた青年時代 |
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| 【 映写 ① 】 |
| ・4歳ころのお稚児姿(唯一の幼少期の写真。子供の頃の写真はパリに旅立つ前に全て処分した。) |
| ・修行時代 実際に目の当たりにしてきた池坊立花の数々。 |
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| 大学紛争の最中、日本を脱出しシベリア鉄道ロシア経由でパリに到達。パリ大学で演劇を学び |
| ながら、日々映画に心酔した20代半ばの3年間あまり。 |
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| 第二部 |
| 東京に出て少人数から始めたなげいれの教室。一方で青年期に培ったたて花でパフォーマンスを |
| 見せる会にて白洲正子先生に見出される。白洲先生が連載されていた「日本のたくみ」に初めて |
| 花を取り上げられる。 |
| 仕事の分野が一気に広がり、三宅一生氏と出逢う。以降、親交を深め互いに創作意欲を高めあう。 |
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| 【 映写 ② 】 |
| ・白州邸で幾度となくなげいれ、たてはなをいけて、先生の取材をうける |
| ・白洲先生、三宅氏と刺青師を訪ねる ( 30代前半 ) |
| ・依頼された仕事は選ばず、全てやり遂げてきた30代、40代、スチール、TVCMのひとコマ |
| ・三宅氏、アレックス・カー氏と参詣した伊勢神宮 |
| ・芸術新潮で女性編集長の気を捉え連載が始まる |
| ・河合隼雄先生に同行し京都(国際会館)、シンガポール(大学)、ニューヨーク(メトロポリタン |
| 美術館)、ワシントン(日本大使館)の各地で講演とたてはなを上演する |
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